イベントのご案内

「重箱」なくして「ちえびじん」なし。大分市都町で飲食店を開業して今年で50年。重箱様50周年祝賀パーティーが開催されました。芹洋子さん三遊亭歌奴さんも掛けつけ盛大にお祝い。~50年間ありがとう~そしてこれからも~。

突然ですが皆さんは50年前何をされていましたか?

「生まれてねぇ~よ!」の方が多いのも事実でしょうし幼少期だった方もいらっしゃるでしょう。

今日は大分市都町で50年前に飲食店を開業した「重箱」を紹介させて頂きます。

「おかえりなさい」

暖簾をくぐればそこにはいつも家庭の温もりのような空間があります。

「いってらっしゃませ」とお客様をお見送りして重箱は今年で50年を迎えられました。

重箱は大分市都町2丁目4-21に位置し平日のみ18時から営業しております。

お客様はママ(女将)を「母ちゃん」と呼ぶ方が多く皆から母親のように愛され、ママの手作りの料理と笑顔でいつも温かく迎えてくれます。

私が言うのは大変おこがましいですが決して繁盛店ではないと思います。

しかも観光客が来るようなお店でもありません。

しかし仕事帰りのサラリーマンや単身赴任で大分に来られた方などコアな常連さんが多いお店です。

その理由は重箱に行くと自分の家にいるような温かい空間がいつもあるからです。

50年という歳月ですからサラリーマン時代に長年お世話になりサラリーマン生活を終える最後の背広姿で重箱に行きママから「長い間お疲れ様」と言葉を掛けて頂いた方。

孤独な単身赴任生活の中で重箱と出会い癒され単身赴任生活の最後に重箱に行きママから「元気で頑張って」と声を掛けて頂き大分の地を離れた方。

このお店では語り切れないエピソードが詰まったお店です。

だからいつ行っても何故か温かい空間があるのだと思います。

「ちえびじん」は「重箱」で知りました。と声を掛けて頂いた方は数え切れません。

情けない事にこの10年間「ちえびじん」の酒質がブレながらも、いついかなる時も「ちえびじん」を愛情込めて注いで頂きました。何故か私と出会い重箱の日本酒は「ちえびじん」しか置いてなく

私が「ママ大分には素晴らしい日本酒が沢山あるから「ちえびじん」以外も置いてよ」と言っても

ママは「あっちゃん達が造る「ちえびじん」が皆喜んでくれるからこれだけでいい」と言って優しさと同時に頑固な一面も持ち合わせています。

「ちえびじん」と重箱とのお付き合いは12~13年と言った所でしょうか?

この度50年という節目を迎え11月26日(日)に祝賀パーティーがあり参加させて頂きました。

50年の歴史があり多くのファンがいらっしゃいますが残念ながらこの数年で他界された方も多く最初は黙祷からスタート致しました。

その後先陣を切ったのが大分市出身の三遊亭歌奴さん。

重箱や中野酒造でも落語を披露した事があり会場を笑いに包みこんで頂きました。

さすが名人芸 ネタの中に「ちえびじん」を入れて頂き会場を沸かせて頂きました。

その後は芹洋子さんの歌で癒されママへ贈る歌として「わが人生に悔いなし」を熱唱されました。

弊社の会長や社員にもファンが多い芹洋子さん。

心に響く歌が多く懐かしい歌も多い為、皆昔を思い出しこの段階で涙ぐむ方も沢山いらっしゃいました。

15時からスタートした祝賀会もあっという間の3時間。

改めまして重箱はバブル全盛期からバブルの崩壊を経験されリーマンショックに45周年を迎えてからの5年間はコロナ生活となり、その間ご自身も帯状疱疹になり、この1年は更に大きな大病となり手術に闘病生活。この会を迎えるまでの困難の数は計り知れません。

コロナ化中に私が重箱に訪問するとママが一人でお客様を待っている姿が今も印象に残っています。

しかし変わらないのは暖簾をくぐればママがいつも笑顔でいる事です。

もちろん50周年を迎える事が出来たのはママだけではなくママの家族や沢山の人達の支えがあって今日を迎える事が出来たのだと思います。

最後はママからの挨拶です。

50年間続けてこられた感謝と共に現在も闘病中。これからもお休みしながら「もう少し重箱を頑張りたい」との言葉を頂き皆の大きな拍手は鳴りやみません。

商売抜きにして一人の人間として皆が尊敬する「大分の母ちゃん」に最後の万歳三唱は掛け声ご担当の方が万歳掛け声前の挨拶から涙・涙で私も参加者ももらい泣きしてしまいました。

私も一人の重箱ファンとしてこれからもお店に通い続けたいと思います。

ママ50年間本当にお疲れ様でした。そしてありがとう。

お体大事にされ、これからも温かい「重箱」の空間をお客様と一緒に作って下さい。

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